近況
2019年8月に「ウェブ日記を書いていくぞ」と思い立って、その日から今日まで欠かすことなく日記を書き続けてきました。まるまる4年が経過したことになります。
2019年、ぼくは東京都内に住んでいました。ですがその夏は東京を離れて暮らしてみることにして、1ヶ月近くの北海道滞在を試しました。妻とふたりで過ごした夏の札幌・釧路での時間があまりにも楽しくて、これくらいの密度の日々をもっと日常に取り入れたいと思いました。自分が過ごす日々にもっと自覚的になりたいと思い、日記を書くことにしたのです。
それから、世界はCOVID-19の流行を経験し、ぼくはカウントダウン生活というコンセプトを掲げて栃木県那須塩原市と長野県松本市を順に渡り、思い切って会社員を辞めてみたりもしました。傍らにはいつも日記があります。そのときそのときの情景を記録できていてうれしいです。
今のところ日記を書くことに飽きる気配はなくて、それどころか、毎日のように動画を投稿していた時期があったり、気付けばポッドキャスト番組を3つ持っているし、週刊で発行するニュースレターでこうしてみなさんとやりとりしていて、むしろますます活発。自分の日々を記録したいという「渇き」にも似たモチベーションは、いったいなんなのでしょうか?
今、「大きな物語」に苛立っている人が増えているんだと思う。でも、本当は「小さな物語」の積み重ねが世の中なんだと認識できると、優しい気持ちになれますよね。だから何かもやもやしている人には、日記を書いたり、読んだりしたらいいかもしれないよ、って思います。
日記について書かれている記事を読んで、少し「おっ」と思いました。小さな物語。いい言葉ですね。言われてみれば、ぼくは小さな物語の力を信じたいのかもしれません。
ブログやSNSが流行り始めたころ、マスメディアには載らないであろう小さな物語が流通し、それらに触れられるようになることにわくわくしていました。今でもこの気持ちは変わっていなくて、友人たちのウェブ日記やブログの類に触れている時間が大好きです。ただ、ページビューとかインプレッション数とか、物語の大きさを競うような指標が持ち込まれると、小さな物語が隅に追いやられるように感じて居心地が悪くなってしまいます。
あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。
──マハトマ・ガンディー
ぼくが書く日記によって世界が変わるとは思っていませんが、ぼくが日記を書くことによって自分の小さな物語を守ることはできそうだな、と感じます。なんでもない日も大事にしたい。ちょっと立ち止まって日々の小さなことを記録すればするほど、自分の人生の手綱をぎゅっと強く握れているような感触を得るのです。
今日は、近所で畑をいじっているおじちゃんにズッキーニをもらいました。あなたの今日には、どんな小さな物語がありましたか?
日々の詳細は日記にて https://scrapbox.io/june29/2023-WN35
今週の撮影
今週の音楽
『19才』
ちゃくらというバンドを知りまして、この『19才』という曲をえらく気に入りました。ぼくが19歳のころは、男性4人くらいがこんなふうに歌う系の楽曲を好んでよく聴いていました。どこか懐かしいテイストも感じています。ラストの、みんなで歌うところがとっても好き。
『フロントメモリー』
神聖かまってちゃんと、ずっと真夜中でいいのにのACAねさんによる『フロントメモリー』がとてもよかった。そもそも『フロントメモリー』が抜群によい。ACAねさんの歌声がよく合っているなあ、と思いました。ミュージックビデオでは、やっぱり制服を着た女性を走らせる。
また次の日曜日くらいに配信予定です
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