近況
ここのところ小学生との接点が増えていて、去年までの自分の生活とは大きく異なり、2023年の自分の生活に特徴を与えてくれています。
学習支援のためにだいたい週一で訪れている長野県内の小学校で数十名の児童と面識があるのと、今月からは親戚の小学生とビデオチャットをつないでお勉強タイムを設けたりしています。あとは、友人たちと家族ぐるみで遊ぶときに友人のお子さんがぼくのお話し相手をしてくれるケースもありますね。ありがたいことです。
これから価値観を醸成していくであろう人々と接するとき、不要な先入観や思い込みを植え付けないように気をつけたいと考えています。基本はなんでも否定せずに話を聞くスタンスでいますが、相手の言動に強い偏見が内在すると感じたときには「そうかな?ぼくはそうは思いませんよ」と思考をほぐすつもりでアプローチしています。
こうして文章にするとき、彼女ら彼らのことを「子」と指し示すことにはデメリットもあるように感じていて、なるべく「ひとりの人」として書き記して紹介したい気持ちがあります。へんに「子ども扱い」しない方がよいのではないか、と考えているんです。
本件に限らず、定義が曖昧な言葉を用いるときには自分がどういうスタンスでいるのかを意識した方がいいと思っていて、たとえば「小学生」がなにを指すかの認識を揃えるのは簡単だけれども、じゃあ「子ども」は何歳から何歳までなのか、どういう状況なら子どもと扱うのか、ってのは、解釈に幅がありますよね。だからぼくは文中で「小学生」と書くときにはそんなに心配しないけれども、もし「子ども」と書くとしたらちょっと背筋を伸ばして自分の中の解釈をはっきりさせて臨みます。
ひとりひとりの小学生との間に関係が育ってくると、お決まりの話題が見つかってきたりもします。この人は、いつも野球やサッカーの話をしてくれる。この人は、お誕生日にすみっこぐらしのぬいぐるみを買ってもらったと言っていたな。この人はダンス教室に通っていて、ぼくにダンスを教えてくれる。こうして個別の接し方が見つかってくると、同年代の友人たちと接するときとあまり変わらないと気付きます。
大人だから、子どもだから、と接し方を使い分けているのではなくて。この人にはこう、この人にはこう、と個別の接し方があるだけでした。こんなふうに認識するようになってから、小学生のみなさんと接するときの迷いが少なくなって、どんどん楽しく話せるようになっていきました。
さて、ここで少し別の話を。今年のぼくはポッドキャスト番組をますますたくさん聴いています。そんな中で、共同通信社や朝日新聞社のポッドキャストにおもしろいエピソードをいくつも見つけて、ちょくちょく聴くようになりました。
新聞社で働く人々が身近にいないもので、どこか遠くにいる存在だと感じて、具体的な想像がはたらいていなかったと思います。ポッドキャスト出演者さんたちのお話は、自分と同じような問題意識をもって語られることもあり、当たり前ですが、同じ時代を生きている同じ人間なのだと実感をもって理解できました。この感覚があれば「マスコミは〜」と雑なくくりで悪い捉え方をすることも減らせそうです。
理解がおよんでいない対象って、カテゴリで捉えて大雑把な向き合い方をしがちですね。今年のぼくは「小学生」「新聞記者」な人々への理解が少し進んで、個々人を認識した上であれこれを考えられるようになってきました。無知だった状態を恐ろしく感じます。まだまだ知らないことがたくさんあるので、ひとつひとつ知っていきたいです。
今週の撮影
また次の日曜日くらいに配信予定です
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