近況
うまく説明できないのですが、ぼくは「自分の心は自分のもの」と思っている感覚が強いというか、誰かに心を預けたくない、他者という存在に心を乱されたくない、という考えで生きているように思います。妻と出会ったころはそんなことも言っていられないくらいに心が揺さぶられていましたが、今回はその話はしません。
「誰かに入れ込む」をやった経験が、おそらくありません。ここ数年ですっかり一般化したように見える「推し」という存在を定めたことはないし、誰かの結婚の知らせを受けて「ロス」という感覚を味わったこともなければ、訃報を受けて呆然としてしまうような経験もありません。
自分の周囲を見渡してみると、けっこうな数の人々が先述したようなことを経験していて、すなおに「うらやましい」という感情を抱いています。
自分の今後の人生で、誰かに強く入れ込むようなことはあるんでしょうか。今のところ、あんまり想像がつかないんですよね。尊敬するアーティストやクリエイターの類はいて、彼女ら彼らの成果物の恩恵に預かることは多くあれど、彼女ら彼らの人生がどうなろうとも自分とは関係ないし…という距離感なんです。
特定の誰かに心酔するって、どんな感覚なのでしょうか。気持ちよさそうだな〜という想像はあります。あるいは、特定の誰かに心酔されるってのはどんな感覚なのでしょうか。気分のよいものでしょうか。
興味はあれど、それよりも「恐怖」の方が勝っている気がします。「この人の言っていることは正しい」「この人の味方をすると決めている」と先に結論が固まるようになると、ぼくの心がどこかに行ってしまうような気がして怖いんですよね。妻が相手でも「あなたが間違ったことを言っていたら、ぼくは否定しますよ」という態度で接していて、妻の味方くらいはしてもいいんじゃないの…と思わなくもなかったり。まあ、否定した上で受け入れるかどうかってのは別トピックですか。
心酔されるのも怖いですね…ぼくが変なことを言っていたら止めてほしい。誰からも心酔なんてされたくありません。幸い、されそうな見込みもありません。
2023年は、ぼくにこんなことを考えさせるような年です。旧ジャニーズ事務所の話、宝塚歌劇団の話、頂き女子の話、ホストクラブの売掛金の話、羽生結弦さんの離婚の話などなど…。すべて別々のトピックですが、どの場にも、心酔という現象が存在するようにぼくには見えました。心酔する相手のためなら、誰を攻撃しようとも構わない。そういった一部の熱狂的な人々を相手に、自分は対話を成立させることはできるだろうかと考えることが何度もありました。
「感情労働」「感情資本」という概念に触れる機会があって、ぼくは自分の感情をビジネスと結びつけて考えることには強い抵抗を覚えるようでした。とはいえサービスを提供していれば多かれ少なかれ感情に影響を与えるわけで、自分自身のスタンスをもっと整理した方がよさそうです。
そんな2023年、日本でもっともよく聴かれた曲のひとつがまさに心酔を歌った『アイドル』という曲なのは、皮肉なものだと思います。小学生がこれを楽しそうに口ずさんでいる様子に、複雑な感情を覚えるのでした。いい曲ですよね、ぼくも好きです。
今週の音楽
今週の撮影
日本浮世絵博物館に行ってきました。今は「日々のよそおい」という企画展をやっていて、いわば江戸時代のファッション雑誌みたいなものですね。当時の人々の生活の様子を想像できて、とても好みの展示でした。
また次の日曜日くらいに配信予定です
メールアドレスを登録すると、次の号から届きます。フィードリーダで読みたい人は https://june29.substack.com/feed をどうぞ。