近況
誰かが怒られている場が苦手です。両親といっしょに暮らしていた頃、自分が怒られるよりも弟が怒られることの方がイヤでした。自分が怒られて言い返すようなことはあまりなかったと記憶していますが、よくわからない理由で弟が親に怒られていると激しい反抗の意を示すことがありました。
大人になってからは「怒」をツールとして使う人が身近にいなくなったというか、日常的に「怒」が持ち出される場所にはわざわざ近付かないようにしているので、苦手な雰囲気に巻き込まれずに済んでいるのですが。たまに、なにかのお店や病院などを利用するときに誰かが怒られている場面に遭遇してしまうことはあります。
今週、一息ついてコーヒーでも飲もうと立ち寄った飲食店にて、店主っぽい人が新人店員っぽい人にきつくあたる場に居合わせてしまいました。とてもつらかったです。
想像するに、店主っぽい人の考える「よいサービス」の形があり、もしひとりですべての作業を担当していたらいい感じのサービスを提供できるのだと思います。ただ、その形を新人店員っぽい人と共有できておらず、思い通りのサービスが提供されない状況に不満を抱えているように見えました。
「こんなんじゃお客さんに満足してもらえないよ」といった態度で新人店員っぽい人にあれこれと指示を出すわけですが、少なくともぼく個人は、新人店員っぽい人がいっしょうけんめいに動き回っている様子には好感をおぼえるばかりで、一方で店主っぽい人の言動には「まいったなあ」と思っていました。あの場で客の満足度を下げていたのは店主っぽい人だったので、皮肉なもんだなぁと悲しくなりました。
もちろん、同じ場にいたとして「なにも感じない人」「指導がしっかりしているな、とプラスに捉える人」もいるでしょう。あくまでぼく個人の目線で書いています。その上で気付いたことを整理します。
とにかく「圧」を感じるシチュエーションが苦手である
感情によって他者をコントロールしようとする手法はよくないと考えている
マイクロ・マネジメントはデメリットが大きいと感じている
そこに権威勾配があると感じるとき、立場の弱い方に肩入れしがちである
お店を利用する客の満足度は、さまざまな要因によって決まる
自分自身についても、なにかを目指しているはずなのにかえってそこから遠ざかるような言動をしてしまうことはあるでしょうから、ひとつひとつの選択が場に与える影響を想像し、観察し、望ましいふるまいを保てるように精進していきたいです。
件の飲食店を出たところに退勤したタイミングの新人店員っぽい人がいて、妻が「ちょっと話してくる」と言って話しかけて、気持ちのいい接客にお礼を言い、そこから3人でふりかえりっぽく立ち話をできておもしろかったです。ぼくらが店内で感じていたことを伝えて「どうなっていくといいんでしょうねぇ」と意見を交わしました。
日々の詳細は日記にて https://scrapbox.io/june29/2023-WN18
今週の一枚
季節を感じる「鯉のぼり」の写真を選びました。この日は風がほとんどなくて、重力に引っ張られてまっすぐ下に伸びた鯉たちです。千歳橋からぱしゃり。
こんにちわ、くまおパパです。
ossanfm#240を拝聴しました。
本来、そちらにコメントすべきかと思いながらもプライベート色が強い内容となりそうなので
こちらにしました。
年末の離職のお話全く存じ上げずにおりましたので、驚きと共に私自身の経験と重なる部分が
あり、普段以上に気持ちに響く感じをもちながら耳を傾けました。
私事ですが、私は23年勤めた銀行を45歳で退職し、今の仕事に転職しました。
以前お話しした通り北海道で生まれ、育ち、北海道内限定の仕事を行なっていましたが、リーマン
ショックによる将来への閉塞感、一定の達成感、バーンアウトしそうな気持ち等々をきっかけに
転職しました。
全国展開の組織で、はじめは札幌勤務でしたが、大阪、東京、大阪、東京とその後の15年は北海道
を離れ、新しい土地、新しい文化の中、全く経験のない新しい仕事、新しい仲間と働いてきました。
今回のエピソードでも皆さんお話しされていた何ができるか、何を求められるか、自分のバリューを
常に問われているという意識で過ごしてきたように感じます。
反面、企業の文化の中にはなかった異端であることが、新しい化学変化を起こしたり、下を向いていた
若者が顔を上げて大きく前進してくれることに立ち会えたりと、以前の仕事の中では感じられなかった
新鮮な経験も沢山させてもらっています。
フリーランスになると自分でやらないとセットされないというお話も転職レベルでも起こることで
『当たり前は共有できて当たり前。共有しなければ宇宙人と話しているのと同じ』という言葉を痛感
する場面は今でもたまに目の当たりにします。
私もまもなく定年退職を迎えますが、セカンドライフと仕事をどう重ねていくかつらつらと考える時間が
増えています。
ただ前回のパライムシフトの経験は大きな財産で自分の気持ちを信じて人生を豊かにしていきたいという
軸を大切にしたいと思います。
人間の気持ちは不思議なもので、最初に大阪に単身赴任した際に家内にリタイアしたら本州に住まないかと尋ねた時に『冗談じゃない。札幌を離れるなんて考えれれない。』と話していましたが、今では『雪のある北海道で生活などできない。』と豪語しています。
私が管理職としてロールモデルとしている野村克也氏の言葉に「金を残すは下、仕事を残すは中、人を残すが上。」という言葉があります。元々は明治時代の政治家後藤新平氏の言葉らしいのですが、リタイア間近になっても共に仕事を進めてくれる若い人が周囲にいることが一番手応えのある成果と痛感しています。
そんなことを考えながら、お話を伺い、とても良い時間を過ごすことができました。
ありがとうございました。
拙文乱筆長文にて失礼致しました、ではまた。